風の沢ミュージアムは、現代アートを通して古民家と里山の風景や自然を残すことを試みる美術館です。現代美術館やレンタルギャラリー、カフェ、宿舎などの複合施設となっています。
鳴子温泉郷は、「鳴子温泉」「東鳴子温泉」「川渡温泉」「中山平温泉」「鬼首温泉」の5ヶ所の温泉地からなる一大温泉郷です。宮城県北部の米どころ大崎地方を流れる江合川(荒雄川)の上流に位置しています。
栗原遺跡は、昭和30年(1955年)に立教学院総合運動場造成の際に発掘調査された遺跡で、このあたりの旧小字「栗原」を遺跡名としたものです。
中尊寺は嘉祥3年(850年)、比叡山延暦寺の高僧 慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
栗原市立栗駒小学校の裏にある山は古来より判官森と呼ばれており、平泉で自害した源義経の胴体が葬られた地と伝えられています。また山の頂部に義経の胴塚とされる五輪塔と石碑が建っています。
松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅路の中で平泉で折り返し、一関・岩ヶ崎・真坂・真山を通って岩出山に宿泊し、最上方面に向かいました。「南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。」という一節があり、岩手の里が岩出山のことを指すとされています。
伊治城は奈良時代に律令政府によって造営された城柵です。当時の律令政府の支配地域の北限に位置し、蝦夷鎮撫のために築かれました。栗原市築館出土文化財管理センターには、古代の弩(いしゆみ)や壺など、発掘調査で見つかった出土品が保存・展示されています。
宮城県と山形県の県境にある堂々とした茅葺き屋根の大型の古民家です。ここに逗留したといわれている松尾芭蕉は『おくのほそ道』に「封人(国境を守る人)の家」と記しました。
松尾芭蕉とその弟子・曾良が岩ケ崎から真坂への途中休息したとされる場所です。石の南面には「芭蕉衣掛の松 通敬無一道人 北面に芭蕉は平泉の古跡を探りて道すがら5月14日ここに立ち寄りこの松に衣を掛けて息入れければ芭蕉衣掛の松とぞ称する」と彫られています。